高岡英夫の人類遺産

身体意識図

以下の身体意識図は、クリックすると拡大画像がご覧になれます。

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  • 内村航平選手の身体意識図A
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  • 内村航平選手の身体意識図B
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  • 太田雄貴選手の身体意識図
  • 太田雄貴選手の身体意識図

~ 各党代表クラスの身体意識分析 ~ 第二編

文:高岡英夫(運動科学総合研究所所長)/2013年1月8日掲載 

 今回の話は主に4つあります。

 まず一番目の話は、前回紹介した政治家たちの身体意識で何が出来るのか、という話です。

 自民党が大勝し、公明党も議席数をかなり伸ばしたことで、自公の議席数合計が、衆議院の3分の2以上という絶対多数を占めることになりました。ですからこの話は、安倍政権が誕生するという状況で進めていきます(本稿は2012年12月27日時点執筆)。

 これから私がする話は、安倍政権が、本当に国民国家のためになる政治は結局ほとんど実行できないであろう、という話です。しかし、決して間違ってもらっては困るのですが、これには格別に安倍晋三や安倍政権、あるいは自民党を批判する意図は全くありません。

 なぜかと言うと、他の4人の政治家の身体意識を見ても、他の誰が仮に政権を担ったとしても、誰一人として真に国民国家を素晴らしい方向に改善することはできないからです。つまり、彼ら5人が持っている身体意識はどれ一つをとっても、簡単な政策は実行そして達成できたとしても、構造的・現実的に達成困難な政策、内外の様々な強い抵抗を受けるような政策・施策は、これからの日本にとってどんなに必須不可欠な重要事であっても、何一つ達成出来ない、という水準の身体意識なのです。

 ひっくり返して言うと、内外にわたる抵抗、障害、困難を乗り越えることが出来なければ、この今の日本が置かれている困難な状況から国民国家を真に救い、優れた方向に導くことは出来ないわけです。それを実際に実行するためには極めて屈強かつ柔軟なセンター、それから見事に揃った上・中・下丹田、さらには裏転子や流舟、リバースやパラボラといった身体意識を持ち、さらにそれらが非常にしっかりとした整合性をもって全体構造を形成することが必要です。そうしたファクターと構造を、5人のうち誰もが何も持っていないのですから、このような結論にならざるを得ないのです。

 したがって、私はここでは、どの政策・施策がいいかということを議論したいのではなく、いかな政策・施策であろうと、それが国民国家を救うことになるためには、大きな抵抗や障害を凄まじいリーダーシップと行動力で乗り切っていく力が必要だという、極めて当たり前のことを申し上げているのです。それを、担うことの出来る能力者は、他の各党党首クラスの政治家たちの身体意識をいくら見渡してみても、残念ながら一人もいないと言わざるを得ない状況なのです。

 では、日本の政治はどのくらい期待できるのかということを、第一の話の最後としてお話ししたいと思うのですが、政治家の身体意識を調べる限りでは、次のようなことが言えます。身体意識学の観点からは、現在の日本の政治では、この困難な状況にある日本という国民国家を救うことはできない、つまり、政界にその力はないということです。このことは現在の段階として、結論的に言えることです。

 次に二番目の話をしたいと思います。

 二番目の話は、では政界の各党党首クラスに日本を救うほどの身体意識が全く存在しないということであれば、他の分野では一体どうなのかということです。つまり、ここでは分野における人材論の話をしたいと思います。

 そのような意味で見渡していくと、実は他の分野には、充分な数ではありませんが、優れた身体意識を持った人材が存在します。その代表的なものがスポーツ界です。

 ここで、今年のロンドン五輪で活躍した体操の内村航平選手とフェンシングの太田雄貴選手の身体意識図を掲げますので、ご覧ください。

内村航平選手の身体意識図A・B

内村航平選手の身体意識図A
内村航平選手の身体意識図A
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内村航平選手の身体意識図B
内村航平選手の身体意識図B
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太田雄貴選手の身体意識図

太田雄貴選手の身体意識図
太田雄貴選手の身体意識図
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 もう説明するまでもなく、一目瞭然で見事なセンターが通っています。特に内村航平選手のセンターは、三層軸(細径軸、中径軸、大径軸)が、3種類とも見事に通った稀に見るほどの素晴らしいものです。

 それ以外の身体意識も実に見事です。熱性・温性系の身体意識も素晴らしく、これほどまでに素晴らしい身体意識というものが現代の日本に、体操という競技スポーツのアスリートの中に存在し、あれほどのパフォーマンスを発揮したのです。

 特に彼が見事なパフォーマンスを発揮したのは、昨年2011年の東京で行われた世界選手権においてでしたが、あまりにも圧倒的なパフォーマンスで、それが故に他の外国のライバル選手たちをして、「もう、内村選手以外の僕らは2位争いをするしかない。それほどまでに内村選手は素晴らしい!」と言わしめるほどだったのです。

 そして、もう一人が太田雄貴選手。この身体意識図はロンドン五輪男子フルーレ団体準決勝を乗り切った際のものです。実に素晴らしい身体意識です。まさに凄まじいファイティングスピリットで、劣勢の追い詰められた状態を跳ね返し、そして勝利へと導いた、本当に競技、勝負というものの世界の醍醐味を見せつけてくれた、あのパフォーマンスを支えた身体意識なのです。彼も内村選手ほどではありませんが、やはりセンター、中丹田などにおいて、見事な身体意識の構造を形成していることがわかります。

 まず、基本的に押さえておかなければいけないのは、スポーツ界で、世界レベルであれほどの見事な活躍をするためには、つまりパフォーマンスを最大限にまで発揮し、そして人々を感動させるためには、これだけの身体意識が裏側の支えとして存在しなければならないということなのです。それがない限りは、内村選手や太田選手のような極めて優れたパフォーマンスは決して実現できないのです。その身体意識とパフォーマンスの具体的な対応関係については話が冗漫になりますので、ここではあえて示しませんが、ご想像していただければ幸いです。

 次に三番目の話です。

 スポーツの世界には、このレベルの身体意識を持った人物が、しかも、充分ではありませんが10人規模の数で存在します。例えばイチロー選手や、アテネ五輪や北京五輪で活躍した頃の北島康介選手とか、その他にも何人かそのような選手が存在します。

 一方、政治の世界では、リーダークラスから中堅、新人レベルにわたって、このレベルの身体意識となると、スポーツ界のように簡単かつ適確に見出すことは困難です。この対照的ともいえる状況に、ぜひ注目をしてください。

 では、この状況を私たちはどのように考えたらよいのでしょうか。

 私は以前、次のように考えていました。スポーツ界にこれだけの優れた身体意識が存在することによって、スポーツを通して国民がその優れた身体意識によって好影響を受け、そこから国民全体の身体意識の再生、向上というものが期待できるのではないか、その結果として優れた国民の身体意識がやがては政界に優れた身体意識の創出を促し、それが国民国家を強力に改善改革していくであろう、と。そして、そのような意味でスポーツ界に優れた身体意識を持った人間が現れることは意味のあることなのであろう、と。しかし、現在はその考えを改めております。

 スポーツ界にこのような優れた身体意識が現れても、結局、極めて迂遠な形で国民に影響するにしか過ぎず、それではもはや間に合わない、それほどに日本の状況はせっぱ詰まったところに来ているのです。

 したがって、政治の世界にこそ、このレベルの優れた身体意識を持った人材が一日も早く、しかもかなりの数で登場する以外には、やはり日本を救う道はないであろうと、考えるようになったのです。

 しかし、その前提として2つの意味で、日本の社会、国民に問題があると言えると思うのです。

 1つ目は、この日本という国は分野全体をトータルに見渡したときに、やはり身体意識の力が衰えているということです。それはつまり、リーダーたちを生み出し、支える基盤である社会、国民全体の身体意識が落ちているということの証なのです。

 私は平均的な国民をサンプリングして、各時代にわたって、どの程度の身体意識を持っているかということの分析も行なっていますので、このことはその結果とも見事に一致しています。

 そして2つ目の話です。一方で、スポーツの世界では驚くほどの優れた身体意識を持った人材が登場しています。実は、ここにもまた問題があるのでないかと、私は考えているのです。

 つまり、国民国家が優れた方向に向かうためには、スポーツ界にだけ優れた身体意識を持った人物が登場するのではなく、政治の世界にも同じ数かそれ以上の数で、優れた身体意識を持った人物が登場することが必須不可欠だということです。今やスポーツの世界のみに優れた身体意識を登場させている場合ではないぞ、ということです。

 最後に四番目の話です。

 では、なぜスポーツの世界にばかりにそのような優れた身体意識を持った人材が登場することになるのでしょうか。国民の政治離れという言い方をしますけれども、実際に自分たちの生き死にを基本的に支えている政治という分野に興味、関心、熱意を持たず、スポーツ界のような自分たちの基本的生活に直接には影響の少ないものに、意識が囚われてしまっているのはなぜなのでしょうか。

 ここを、まずは変えなければいけません。しかし真面目に考えれば考えるほど、それは変えようがないということも事実です。では現実的に何が出来るのだろうと考えたときに、次の2つのことを考える必要があります。

 1つ目は、スポーツ選手がなぜあれだけの優れた身体意識を身につけることが出来るのか、ということです。それは結局、競技を目的としたスポーツという運動の論理にその秘密が隠されています。競技スポーツは優れた身体意識を身につけやすい文化なのです。それはひっくり返して言うと、中~低度のものにその効果は期待できませんが、世界で優勝するほどの高度なスポーツ活動というのは、優れた身体意識を形成するためのトレーニング法になっているということです。一方、政治は身体意識のトレーニング法にはなりにくいのです。

 したがって、2つ目にこの話の結論としては次のようなことが言えます。政治家は高度な身体意識を身に付けるための、専門的な身体意識のトレーニングを日課とすることが必要だ、ということです。

 高度なスポーツは身体意識形成のためのトレーニングになると言いましたが、それは試合ではなくて、日々の彼らが一日5時間とか、時には8時間とか行っている猛練習のことを指します。あのような日々のトレーニングの精度を高め、それを黙々と繰り返す中で、身体意識が鍛えられていくわけです。もちろん試合によって、さらに身体意識が強化されることは当然ですが、基本的に日々の練習、トレーニングというものに身体意識のベースが支えられているのです。

 では政治家が、スポーツ選手のようなトレーニングをやっているかというと、当然ながらやっていません。政策を一生懸命考えたり、政策研究会をしたり、そのためのリサーチをし、資料を読み込んだり、議会や委員会において他の議員たちと論戦をしたりとか、あるいは自身の選挙区で後援会の組織固めをしたり、有権者の声を聞いたりとか、そうした行為では優れた身体意識のトレーニング効果はほとんど期待できません。要するに、現在の政治家たちのこうした現実を身体意識学的に分析することで、そのことがハッキリしたということです。

 したがって、政治家たちも、一流スポーツ選手たちが一日に5時間も8時間も全身全霊を込めて、自分と向き合ってトレーニングをするように、時期別に毎日決まった時間(1~2時間が全ての条件を考慮した結果、適切と判断します)、専門的な自分と向き合うトレーニングを行うことが必要だということです。そのトレーニングは、あくまでも身体意識トレーニングです。ランニングをしたり、アスレチッククラブで筋力トレーニングをやって汗を流したりなどの運動は、優れた身体意識を育成するという観点では、まったく意味がありません。

 高度に洗練され、考え尽くされ、計画し尽くされた身体意識トレーニングを彼らが行うことで、近現代の我国政界では全く見ることができなかったほどの優れた人材が多数輩出する可能性が生まれます。もし、このトレーニングを1日1~2時間、来る日も来る日も国会議員全員が行ったら、必ずや、日本の国民国家に多大な好影響、好結果をもたらすことになるでしょう。

 これが私の今日の結論です。こうした私の見解に対して、多忙な政治家が一日に1~2時間のトレーニング時間を日課として割くことは、時間的に不可能であろうし、時間コストからいっても不合理なのではないか、という反対意見があることは、当然予想しております。次回はその点について、論じたいと思います。

(第三編につづく)